2009年7月15日

新疆ウイグル自治区

伝統的には、テュルク系民族が多いことからペルシア語で「テュルク人の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれ、現在の国境を越えた幅広い地域の一角として、中央アジアの文化圏に属してきた。一方で、中国から西域と呼ばれたこの地域は中国との政治的・経済的な繋がりも古くから有しており、漢代と唐代には、中国の直接支配下に置かれた時期もあった。唐代後期、ウイグル帝国の支配下に入り、9世紀、ウイグル帝国が瓦解したのちも、ウイグル人の残存勢力による支配が続いた。13世紀、モンゴル帝国の勃興によりその支配下に組み込まれ、チャガタイとその子孫による支配が行われた。16世紀に至りヤルカンド汗国が地域を統一したが、17世紀末ジュンガルに征服された。

18世紀、清のジュンガル征服にともなってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、「新しい土地」を意味する「新疆」などと清朝側から呼ばれた。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れたが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となった。

辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられたが、国共内戦後の1949年に再び中国の侵略により支配下におかれ、1955年に新疆ウイグル自治区が設置された。しかし、直後に開始された大躍進政策とその影響による飢饉のため、自治区の経済及び住民生活は大打撃を受け、数千万人ともいわれる、大規模な死者を生み出した。1962年には、中国共産党による支配に絶望した国境地帯の住民7万人以上がソ連領内に逃亡した。また、1966年には自治区内に文化大革命が波及し、モスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかった。

文化大革命が終結し、言論統制の緩和がなされた1980年代には、ウイグル人住民の中で、新疆における民族自治の拡大や、中華人民共和国からの独立を唱える動きが見られたが、1989年の天安門事件で中国共産党による自国民虐殺以降、こうした動きは当局の厳しい監視・取り締まりの対象とされている。

2009年にはウイグル人と漢民族の対立が激化してウイグル人の暴動が発生。それに漢民族が鉄パイプなどで武装して応戦し、武装警察の介入もあって、世界ウイグル会議によると死者800人、中国当局によると死者156人となる惨事となった。これにより中国は報道規制をし、また主要国首脳会議(ラクイラ・サミット)に参加するためにイタリアを訪問していた胡錦濤(中国国家主席)が「新疆ウイグル自治区の情勢」を理由にサミットをキャンセルして急遽帰国するにまでに至った。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
只今デモ隊などが出て大変な騒ぎになっております。

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